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第643回「機敏に株の大暴落をくぐり抜ける」(高島陽物語23)

大商証券の重役となり、自著も出版し
経済評論家の肩書きもできた高島陽さんは
邱永漢さんと親交が生まれ、週に一回くらい会って
互いに得た情報するようになります。

邱さんの方は株式評論で一躍名を挙げたあと
リコー創業者の市村清さんなど経営者との交流から
数社の経営コンサルタントを務めるようになりますが、
東京オリンピックの前年の昭和38年(1963年)には
コンサルタント先からキャンセルされるようになります。

その頃の邱さんと高島さんの交流風景が
邱さんの『私の金儲け自伝』に描かれています。

「コンサルタント先から次々と断られ
少し弱気になっていた私(注:邱さんのこと)は
『ね、高島さん、これからはわれわれ、
株で儲けようなんて思わないほうがいいかもしれませんよ」
と言った。すると高島さんも思い当たる節があったのか
すぐ電話を貸してくれと言って、その場で大商の株式部を呼び出し、
『俺の持っている株と名のつくものは
全部売ってしまってくれ』と言った。
私たちはそれから一時間ほど話をして別れた。(中略)

二人で話をしていて珍しく呼吸があったので、
その日の午後、私は千葉市に行き、証券界社主催の
講演会だというのに、投資家相手に『株は総売り』とぶった。
そうしたら偶然にもその翌日、
ケネディの利子平衡税の発表があり、
また次の日から株式市場は大暴落を始めた。

次の週に高島さんがまたやって来て、
ニコニコしながら『邱さん、あの日、
株を全部売っておいたおかげで、
喫茶店を一軒ひらけるくらいにお金が助かったよ』
と言った。

ところが私は講演に行くためにバタバタしていたので
証券会社に何の指示もしなかったから、何千万円を
値下がりをくった」(『私の金儲け自伝』)

昭和38年(1963年)のことですから、
大正13年(1924年)生まれの当時邱さんは39歳、
大正12年(1923年)生まれの高島さんは40歳です。



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執筆者:戸田敦也(2007年05月20日)

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■戸田 敦也 (とだ・あつなり)
toda.jpg 邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。

■戸田敦也さんへのメールはこちらまで: atsunaritoda@gmail.com