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第635回「死に場所を探して山中をうろつく」(高島陽物語14)

昭和28年6月の頃、高島陽さんは
東京海上を信用で1万株買建てましたが、
7月初め頃から東京海上の株価が下がり続け、
もう10円下がったら、スッテンテンになる
という頃から、高島さんは無気力になり、
思考能力が働かなくなりました。

そして、
「俺はもう駄目だ。
いっそのこと死んでしまおう」
と考えるようになりました。
その直後の行動を高島さんは
次のように書いておられます。

「昭和28年、8月のある暑い日、
浅間山の麓をうろうろ歩いて
私は死に場所を探した。

芥川龍之介が自殺をする時、
死に場所に苦労したことなどを想い出したりした。
新聞もラジオもない山奥を
毎日あとどもなく歩き回った。

狐の匂いのするホラ穴に入ったり、
谷底に降りて太い朽木に腰掛けたりした。
5日目だった。ふとトロッコのような電車道に出た。
レールを辿っていくと田舎の小さな駅に着いた。
それは今は取り払われてなくなったが、
草軽電鉄の小さな駅だった。

あんまり歩き疲れたので、
私はなんの気なしに
そこの駅のベンチに座った。

ふと見ると、そばに新聞が置いてあった。
5日間見なかった新聞だったので、思わず
その新聞をとりあげた。 
そしてむさぶるように証券蘭に目をやった。
するとどうだろう、東京海上が急騰しているではないか。

私が山に入った日から連騰しているらしかった。
私は思わず立ち上がった。夢ではないかと。
死ななくてもすんだという意識が頭をかすめた。」
(『現代の兵法』)

高島さんはやってきた電車に乗って、
兜町に帰ります。
兜町に着くと、東京海上を成り行きで売り、
平和不動産売建て東京海上買建ての
信用取引の計算書を見ると、
差引きほとんどゼロでした。

ですが、6月から8月まで死ぬような苦しみを
味わい続けてきましたので、高島さんは
「信用取引の恐さをつくづく知った。
信用取引だけはするものではないと
自分に言い聞かせ、人にも言うようになった」
(同上)と書いておられます。



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執筆者:戸田敦也(2007年05月13日)

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■戸田 敦也 (とだ・あつなり)
toda.jpg 邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。

■戸田敦也さんへのメールはこちらまで: atsunaritoda@gmail.com