戸田ゼミ通信HOME >> 戸田敦也コラムトップページ >> 交流を楽しむ  600回〜
<< 前のコラム |第625回「足よ、動いてくれ」(高島陽物語4)| >> 次のコラム

第625回「足よ、動いてくれ」(高島陽物語4)

劣等感にさいなまれて幼少期を過ごした、
高島陽さんは慶応大学に進学し、
競走部に入部します。
「あの頃の慶応は陸上が強かった」と
高島さんは回顧されています。

そして昭和18年、20歳の時、
当時は戦時中でしたので,箱根駅伝が
「紀元二千六百三年・靖国神社・箱根神社間
往復関東学徒鍛錬継走大会」として挙行され、
高島さんはこの大会に母校の名誉をかけ
走者として出場されました。

「昭和18年(1943年)の箱根駅伝で
私は第9区(戸塚・鶴見間)を走った。
わが慶応は2位だった。タスキを受け取って
しばらくは順調だった。
コンディションの見当をつけるファースト・ウインド(倦怠期)も
セカンド・ウインドもいつもより遅い。

絶好のコンディションだと思って
ピッチをあげたら権太坂(ごんたざか)を下って、
保土ヶ谷に差しかかった時
膝がガクンときて急に動かなくなった。

まだ半分も走っていないのにどうも動かないのだ。
監督の竹中正一郎さん(注:元オリンピック選手)が
心配そうに声をかけてくださったが、
どうも仕様がなかった。

ただただ私は足に声をかけた。
動いてくれ。タスキを渡すまで動いてくれと頼んだ。
そうしたら急に動くようになった。
横浜も生麦もどういうふうに走ったか覚えていない。
とにかく2位でうけとったタスキを2位でアンカーに渡した。
結局、慶応は優勝できなかったが
いつも箱根駅伝の日がくると今でもあの時のことを思い出す。」
(『社長のめしの種』。昭和61年)

以上の文章は「車の持ち主が車を大事にするように
自分の身体を大切にするのは当然のことだ」、
「自分はいつも自分身体にいつも感謝の声をかけている」
という趣旨で書かれた文章の一節を
抜粋させていただいたものです。



戸田ゼミのご案内
○ 5月20日(日)東京で中国株・ベトナム株セミナーを開催。
○ 6月4日(月)・5日(火)新潟・三条市で事業視察セミナーを開催。
  (参加者満杯のため募集活動は行いません)
○ 6月16 日(土)大阪で中国株・ベトナム株セミナーを開催。
○ 6月17 日(日)名古屋で中国株・ベトナム株セミナーを開催。
○ 7月7日(土)・8日(日)東京で「50歳からの人生設計セミナー」を開催。
○ 8月26日(日)東京で”富士通オンラインソフト開発の神様”三浦亮一氏講演会。
○ 11月21日(水)~24日(土)ベトナム・ホーチミンでセミナーを開催。 
  (希望者はBSC証券の証券口座の開設にご案内)
各セミナーの詳細は左欄の「戸田ゼミスケジュール」をクリックしてご覧下さい。

執筆者:戸田敦也(2007年05月03日)

戸田ゼミ通信HOME >> 戸田敦也コラムトップページ >> 交流を楽しむ  600回〜
<< 前のコラム |第625回「足よ、動いてくれ」(高島陽物語4)| >> 次のコラム

■戸田 敦也 (とだ・あつなり)
toda.jpg 邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。

■戸田敦也さんへのメールはこちらまで: atsunaritoda@gmail.com