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第624回「一番恐ろしいのは劣等感」(高島陽物語3)
戦前の日本で外国貿易にかかわる
金融業務を処理していた横浜正金銀行に勤める
父親の転勤について、高島陽さんは
国境を越えて転校を繰り返しますが、
この頃は劣等感にさいなまれたようです。
「オヤジの仕事の関係で、
私は小学校を3回、中学校を3回も変わった。
転校というのはいやなものである。
それも、マニラから東京、東京から満州
という具合だったので、なおさらつらかった。
たとえば、フィリピンではサルマタというものを
だれもはいていなかった。だから東京の小学校に
転校して初めての身体検査の時、子供ながらも
大変恥かしい思いをした。またテノオハが
おかしいといって、同級生から、いつもひやかされた。」
また、中学に進学してからは身体の不具合に苦しみます。
「私は中学校1年の2学期から急に目がかすむようになった。
眼科医に行ったら黒目に星が出来ていると言われた。
それから、丸2年間、毎日目医者に通った。
遊びたい盛りを、眼医者の暗い待合室で過ごすことが多かった。
あげくに、家族のなかで私一人が眼鏡をかけるようになった。
目ばかりでなく、私はからだのそこら中に故障があった。
中学4年のころ、一メートルの高さのところから
飛び降りたら、急性関節炎にかかって一ヶ月ほど学校を休んだ。
そのほか、急に耳が聞こえなくなったこともある。
特に中学時代はからだの部品を修理するのに、
毎日を追われた。そのころ、待合室でよく
『おれって人間は打なんだと思ったものである。」
また浪人時代にも苦境が続きます。
「浪人2年の時代が、私の劣等感の最もひどかった時だと思う。
浪人生活は灰色と言うが、ほんとうにあのころは、
世の中が灰色に見えた。お客さんが家に来た時、
あわてて、押入れの中にははいったことを、今でも覚えている。
『おれなんて、親兄弟にめいわくかける出来そこないなんだ』
と、いつも考えていた。」
(以上いずれも、『1億総素人時代』。昭和45年)
後年、高島さんは劣等感を克服ための努力を続け、
指導者のアドバイスも受け、見事に克服されますが、
「一番恐ろしいのは劣等感で、子供に対し
周囲の人は劣等感を持たせないための工夫が
必要である」と書いておられます。
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執筆者:戸田敦也(2007年05月02日)
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邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。
■戸田敦也さんへのメールはこちらまで: atsunaritoda@gmail.com

