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第36回 実務手帖のおいしい店を食歩くの巻 飛騨高山編 3
戸田ゼミコラムのバックナンバーはこちらをご覧ください。
第36回 実務手帖のおいしい店を食歩くの巻 飛騨高山編 3
飛騨高山を目指して、「木曾福島」駅から南下して、「多治見」駅へ。
ここから西に向かって、「美濃太田」駅へ。
北上し、「高山」駅へのルートを採った。
多治見から美濃太田へ向かう途中で
フィリピンの若い女性達と座席が一緒になった。
どうやら日本に働きに来ているようだ。
とても明るい。
電車の中で昼食を摂っていた。
フィリピンの人は、良く老人の面倒を見るという
話を聞いたことがある。
その内に環境が整ったら、向うの看護婦さん達が、
またヘルパーさん達が日本に来るだろう。
フイリピンにはセブ島に行ったことがある。
貧しいながらも、明るい一面があった。
観光の途中、ガイドさんにお願いして、
小学校を見せてもらったことがある。
日本の援助で出来た学校であった。
国が発展するもしないも、多くの人財が
輩出するかどうかだろうと、当時、強く思った。
ガイドさんはとても親切で、よく面倒を見てくれた。
フイリピンへは、こういったいい印象を持っている。
日本からも、遠からず、リタイアーした人達や
年金生活者、余生を送る人達の一部が
フイリピンで生活するのではないかと空想しています。
話を元に戻して、電車は下呂温泉を通過して
「高山」駅に到着。
ずいぶん前に、旅のガイドに、高山は「小京都」と
案内があったので、いつの日か行きたい所でもあった。
宿に向かった。
宿は、外観上は合掌作りを思わせる建物であった。
中に入ると、旅の疲れを寛げる相を呈していた。
香を焚いていて、香りが伝わってくる。
この日、一泊。
翌日、「飛騨民族村」を見学。
ここから北アルプスの山並みが見れる。
まだ山手は雪化粧をしていた。
「飛騨民族村」には、飛騨の古い民家が
移築復元され、なつかしい農山村の暮らしを
醸し出していた。
水車小屋もあった。民家は全部で10軒近く
あったであろうか。
その内の1軒は昔、強い地震があって
周りの家は倒壊したのに、この家だけ免れたと
説明がありました。
よく見ると、柱に工夫がされており
柱と梁が一体化さていていました。
腹が減ってきたので、お目当ての金亀館の弁当を
食することにしました。
実務手帖には
「飛騨高山の弁当屋。
安い駅弁しか知らない人には
思いもかけない味。」
とあります。
なるほど駅弁にしては、なんとも言えない味だ。
こういう駅弁なら、当分は飽きないだろうなあと
思ったことでした。
高山まで来た甲斐がありました。
その後、しばらく散策。
近くの商店街を歩いてみた。
川が流れており、橋から見た柳の緑が
みずみずしい。
ここでも、中国からやって来た観光客の一団に遭遇。
親子連れの人の中には、先程の柳をバックに
写真を撮っていた人もいた。
この日、高山を離れる。
1954年生れ。51歳。
九州の高校を卒業して
すぐ某建設機械メーカーに入社。
それ以降、現在に至る。
サラリーマン生活のかたわら投資活動を実施。
貧乏旅行を好む。
■虹原太助へのメールはこちらまで → nizihara2000@yahoo.co.jp
執筆者:虹原太助(2006年09月03日)





