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|第197回 【最終回】うさぎとかめ|
おはようございます、ホンコンスターオーです。
1年と数ヶ月に渡りご愛読いただき誠にありがとうございました。
私のコラムでは間口を広く取り
目に付いたテーマで書き散らしておりましたが、
流石に1年経ちますとテーマも1順し、
書きたい事
主張したい事
がほぼ出尽くしてしまいました。
更新も滞りがちになってきた事でもあり
この辺で筆を置く事にしたのですが、
その前に
私がこの戸田ゼミに参加した頃から頭の中で考えている事(いた事)を
最後のテーマとして書きたいと思います。
みなさんよくご存知の寓話『うさぎとかめ』についてです、
足の速いうさぎとのろまのかめが競争する事になったが
うさぎが慢心して休んでいる間に
かめは着実に歩み先着し勝利してしまう。
地道にコツコツと努力することが肝腎だ
というのがこの寓話のモチーフでした。
本当にそうなのでしょうか?
私は社会に出て某商社に就職し
足が速かったか遅かったかは分かりませんが
少なくとも慢心はせずに日々忠勤に励んでいました。
ところが、私の勤めていた会社は
経営危機に陥り、2度も銀行に債権放棄(借金の踏み倒し)をしてもらい
株主にも減増資(一旦資本金を0にして資本金を再出資)をしてもらい
トヨタグループに何とか救済してもらい
お陰でようやく倒産と言うハードランディングだけは避けられました。
このような結果になったのが
経営がまずかったせいなのか、経済環境が悪かったせいなのか、それはともかく
直接の原因は会計基準の変更でした。
それまでは在庫損を抱えていても
損切りさえしなければ損失は先送りでき
それ以外の商売で金利を上回る利益さえ出しておれば何とかなっていたのが
時価会計の導入がきっかけで
在庫に対して含み損を出さなければならなくなったのです。
時価会計を一言で言うと、
“その会社を今解散させると第三者にいくらで売れるのか?”
と言うアングロサクソンが好きそうな会計基準の事です。
これがグローバルスタンダードとしてまかり通り
良きにつけ悪しきにつけ
財務体質の弱い会社が順番に淘汰されていったのが
1990年代末から2000年代初めにかけての
日本の経済状況だったと言えるでしょう。
うさぎとかめのレースの話に戻りますが、
この寓話ではゴールは決まっていました。
山のテッペンでしたね。
私が社会に出たときもゴールは決まっていました。
就職した会社で忠勤に励み
会社に貢献する事で
会社内での地位を高める事(お山の大将になること)
それが目標であり自己実現の方法だと信じていました。
この文章を読んでおられるかなりの方々にも
この様な価値観があったと言うことには同意していただけるのではないでしょうか
ところが、脇見をせずに走っていたのに
気がついてみれば
ゴールがいつの間にか消滅していました。
“あれっ”と思って周りを見渡すと
インターネットとかビットバレーとかドットコムなど
遊びの延長としか思っていなかった分野が
ニューエコノミーとして持て囃されていたり
村上ファンドとか“株式投資で○億儲けました。”と言う若者が登場したり
別にお金を儲ければそれがゴールと言うわけではないにせよ
自分が一生懸命働いていた会社と言う土台が
脆くも崩れ去ったのを知ったときに、
ゴールは実は1つではなかったのだ。
と気付きました。
うさぎとかめのレースでも
うさぎが目指していたゴールと
かめが目指していたゴールは
実は違っていて
うさぎには見えていなかったゴールが別に存在していて
かめには見えていた。
見える人には見えるが
見えない人には見えない、
そういうゴールが存在する!?
「そんなことがあるのか?」
とおっしゃるかもしれませんが、
そういうことが起こっているのが
“イマの世の中”ではないでしょうか?
私は『継続は力なり』の信奉者なので、
努力する事の大切さ、
それを継続する事の尊さに
価値を見出していますが
どうやらそれだけでは足りないようだ。
どうやったら見えないゴールが見つかるか?
どうやったら見えないゴールが見えるようになるか?
訳の分かったような分からないような
取り留めのない事を書きましたが
私が考えている事はそういうことです。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
また、長文に目を通していただきありがとうございました。
機会がありましたら、また、お目にかかりたいと思います。
(2007年05月26日)