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第38回 トーメンの思い出

おはようございます、ホンコンスターオーです。

今日は4月1日。
新年度の初日になります。

私が勤めていたトーメンも
今日から豊田通商と合併します、

経営不振に陥ったトーメンを
救済する色合いの濃い合併です。

世間ではよくある話ですが、
むしろハードランディングでなくて
僥倖だったと言えるでしょう。

トーメンといってもなじみが薄いでしょうから
簡単にご説明します。

1920年に三井物産棉花部が独立、
その後、業容を拡大し総合商社に成長、
売上高は最盛期には約7兆円あった会社です。
総合商社の売上ランキングは第7位でした。
繊維、化学品、機械、食料、物資と
取り扱い商品は多岐に亘っていました。

私はこの会社に就職した年(86年)に
新入社員ながら語学研修生として
南京に出してもらっています。
そう言う恩のある会社です。

南京に留学している頃、学校の長期休暇を利用して、
大連事務所に挨拶に行った時のエピソードをご紹介しましょう。

所長に挨拶した後、
大阪本社からの出張者に引き合わしてくれました。
意外な事に女性です。
(営業担当で海外出張まで任された女性は20年前は少なかったと思います。)

私よりも何倍も上手な中国語の操り手でした。

「ホンコンスターオー君は留学してんねんから、
人民元、使うよねエ。悪いけどドルと換えてくれへん?」
ナント、人民元とUSドルとの交換の申入れでした。

話を伺うと、中国へのミシン輸出がご担当で、
ユーザーから針が折れたから交換用に新品の針が欲しい
と注文を受けたのだそうです。

「外貨はないが、人民元ならある」
と中国側の縫製工場に泣きつかれて、
人民元で商品代(ミシンの針代)を回収してきた
帰りとのことでした。

当時の中国は外貨が貴重で、
人民元と外貨の交換は制限が非常に厳しい頃でした。

その先輩はご自分で立替られる積もりだったそうなのですが、
南京に留学している語学研修生が来た、と言うので、
少しでも肩代わりを、
と言う趣旨でした。

同じ会社の先輩の申し出ですし、
余り多くはありませんでしたが、
持ち合わせ程度のドルであればと交換に応じました。

針の代金ですから大金じゃないのでしょうが
会社の看板で商売しながらも
自分でリスクを張って仕事をしている
逞しさ(たくましさ)には惹かれるものを感じました。

それから暫く雑談をしていたのですが、

当時の私は
中国は手を加えれば加えるほど、
出来上がる製品がどうしようもなくなる
と思っていたので、
その先輩に
「中国でいい生地でも買って日本に戻ってから
服を縫ってもらおうと思うんです。」
と話したら、

「アナタ、それ、逆よ。
人件費の安い中国で加工させへんかったら、意味ないやン。
私かて、いままでに、中国に出張来て何着もコート作ってんねンで。」
と教えてくれました。

この遣り取りは今から20年も前の話です。
今では中国は世界の工場です。
この先輩の言う通りの事を世界中の人たちがマネしています。

その後、私は食料関係の貿易に携わったので、
この先輩とはお会いしておりませんが、

このような先見の明もあり、
会社の商売でも自分の仕事と思って打ち込む
モチベーションの高い素晴らしい先輩方が
沢山(たくさん)いた会社でした。

豊田通商に合流して力を発揮される方、
私のように新天地に活路を見出した人、
独立して自分の力で切り拓いている方。

みんなそれぞれの人生を選択したわけですが、
それぞれの立場で頑張って欲しいと思います。
私も負けないようにこれからも頑張りたいと思っています。

新年度を迎え、
昔の会社での出来事を思い出し、
心新たな気持ちとなりましたので、
エピソードをご紹介しました。



(2006年04月01日)